富士ICから東名高速に入りバイクの調子を見る。整備をした時点でリア
タイヤの山がなく心配していたが、早朝の冷たい道路の継ぎ目でも、伊藤
のように沼津のバイパスをわざわざ2車線も止めてくれた様な事が起こる
気配もなく快調に高速を走っていった。若干車線変更がスムーズに出来な
いが、それは誤差範囲だろうと勝手に思い込み集合場所の富士川SAへと
向かった。
集合場所にはすでに9人のメンバーが到着しており、私が10番めだった。
集合場所に着くなり、毎回ツーリングで出力が弱いと言われている無線機
を取り出して音声出力のボリュームを調整した。しかし、効果があまりな
かったのかたいした出力アップは望めなかった。
そんな事をしているうちに出発時刻の5時40分になってしまった。たい
てい集合時間に遅れてくる奴はいるのだが、今回も後藤と古郡の2人(正
確には東京から来る柴田を入れて3人)がまだ到着していなかった。柴田
にはコージが5時ごろ電話をしており、”富士川か浜名湖で追いつくよ”
と言っていたようである。とりあえず、富士川SAでは追いつかれなかっ
た。
そのうち後藤が現れた。後藤の遅れてきた理由であるが、どうも単なる寝
坊ではないようである。朝の早番ワイドショーで石橋貴明と鈴木保奈美の
入籍ニュースを見ていて遅れてきたらしい。とんでもない奴だ。それにし
ても古郡はまだ来ない。これ以上出発時刻を遅らせるわけにはいかず、来
ない奴はさっさと置いて本隊は定刻を20分遅れの6時に出発する事にな
った。そのまま置いていくのもちょっとかわいそうなのでコージを富士川
SA残していくことにした。
前回の春のツーリングの時は参加者が少なく7台程度のこじんまりしたツ
ーリングであったが、今回は総勢14名でほぼ1年ぶりの団体ツーリング
となった。いつも通りこれから始まるツアーコースの説明を無線で行った。
が、何か首もとがおかしい。何とヘルメットのあご紐を締めていなかった
のである。このまま、スピードを上げたらヘルメットが脱げてしまうと思
い、無線で連絡して本隊を先に行かせ路肩によってあご紐を締め直した。
そして、先に行かせてある本隊に合流するためバイクを走らせた。最後尾
から追いかけるのは実に楽しい。
浜名湖SAまではフリー走行区間であるため、私が追いついたときには本
隊はいくつかのグループを形成しながら走っていた。清水IC付近で先頭
グループの小長谷と近藤に追いついた。峠道で速く走るのには腕が必要だ
が、高速ではそんなものはいらない。ひたすらバイクの馬力と度胸のみと
思っている私は”有り余るパワーを使うのはこの高速の時だけだ〜”とア
クセルを開ける。フレームの捩れや振動もなく快適なクルージングをする
私のバイクは、本間のバイクとは対照的に危機感がない。追い越し車線か
らの無理な追い越しはせずにいると、後ろを走っている小長谷と近藤のバ
イクがミラーに大きく映し出されてくる。”おっ、後ろの2人も来たな”
と思う頃には詰まっていた前の車も走行車線に戻り、前方が開け一気に加
速する。
牧の原SAを過ぎた辺りからミラーに朝日が映し出される。春のツーリン
グでは挑戦的なスカイラインがこの辺りにいたが、今回は残念ながら?そ
んなお馬鹿な車もなく、走行車線と追い越し車線を行ったり来たりしなが
ら進んでゆく。しばらくすると、天竜川に差し掛かった。ここまで来ると
集合地点である浜名湖SAは目と鼻の先である。案内看板にも浜名湖SA
までの距離が表示され、いつしか浜名湖SAに到着する。
浜名湖SAでは、マッドマックスのように並べるためにバイクを寄せてい
ると、FJが入ってきた。”あんまり、小長谷との差もなかったんだなぁ”
なんて思いながらバイクから降りようとすると、”おはよう〜”と違う声。
もしかしてと思って顔を上げると、そこには午前5時には東京の自宅にい
たはずの柴田の顔があった。しばらくして、本物の小長谷と近藤がSAに
入ってきた。
春のツーリングではセローに乗って参加していた帷子も、今回からVFRに
乗り換えて余裕のツーリングとなった。当初は、このツーリングまでVFR
が無事かどうか気になっていたが、無傷のままのツーリング参加になった。
その他にも長沢がX4で参加するなど、新型バイクの参加があった。次回の
ツーリングはきっと武田さんのニューマシンの登場だろう。
浜名湖SAからは隊列で走り、豊川ICで東名高速を降りる。当初の予定
では豊川ICからは有料道路を使わずに行くつもりであったが、先頭の予
習不足のため道路の案内看板に頼って進むと、自然と有料道路へ誘導され
てしまっていた。回り道をするのも面倒くさいし、不安なので有料道路を
通る事にした。有料道路を通ってR23に出て、そこから再度R23の有
料道路に入った。
このルートを通ると時間的に余裕ができて、10時が到着予定時刻の伊良
湖岬には9時20分頃には着いていた。到着して分かった事だが、フェリ
ーに乗せられるバイクは10台とのことであり全員乗るのは無理かと思っ
ていたが、全員乗れる事となった。キリンと同じでかなりいい加減なもの
だ。
フェリーに入るとたちまちアルコール組みはビールを片手にニコニコ顔で
ある。ただ、予定より1本早いフェリーに乗れたため、伊良湖岬で大あさ
りを食べ損ねた連中の浮かない顔もあった。
小1時間フェリーに揺られ鳥羽港に到着する。思ったより早く鳥羽港に着
いたという感じである。寝坊した古郡を待つために鳥羽第一館というお土
産センターに行く。ガソリンのない人はここで一回目の給油となった。
このお土産センターでは、コージが大あさりを買って家へと宅急便で送っ
ていた。”今日送れば、明日帰ってから食べられる”とのこと。なかなか
”お自動さん”に負けず劣らず計画的である。お土産センター内を一周し
て外へ出ていると、寝坊した古郡が着いた。この男は富士川SAでコージ
が電話をするまで寝ており、その電話の音で目が覚めたらしい。一説によ
ると、古郡はスリープモードに入ったきりデットロックが起こり再起動不
能状態だった為起きられなかったようである。まるでWindowsの真っ青な
画面のような状態だったのだろう。その後、コージがかけた携帯電話の電
波のおかげで古郡自身にインタラプトがかかり再起動したようである。
これで全14台が揃い、一行は伊勢を目指す。今日の目玉”伊勢スカイラ
イン”を通っていざ伊勢神宮へ。ところがこの伊勢スカイラインは2車線
ではあるが、道幅は狭く、ブラインドコーナーは多く、ちょっとアクセル
を開けると次のコーナー、という私にとっては非常に走りにくいコースで
あった。料金所で全員の料金を払っていた私は最後尾からのスタートとな
った。走れど、走れど追いつかず、やっぱり最後尾から追いかけるのは実
に楽しくない。
山頂を過ぎ見晴らしのいい休憩ポイントで休憩を取った後は、またまたフ
リー走行で一気に下まで。そこで再度隊列に戻し、伊勢神宮外宮へ向かっ
た。キリンのツーリングの伝説の舞台である”宮前館”が外宮の前にある
そうだが、今回行ってみると写真館に変っていたようである。きっと長沢
のゲロの匂いで人が寄り付かなくなったのだろう。
外宮はそんなに大きくなく参拝客も多くなかった、次に行く内宮と比べれ
ば、、、
外宮で参拝を終えた一行は、先ほど来た道を戻って内宮へ。ところが内宮
へ入る交差点から大渋滞。どうしようかと思っていると、前にいた1台の
軽自動車が黄色い中央線をものともせずどんどん追い越しをかけていくで
はないか。”こいつは強気だなぁ”などと思いながらも、その後ろをキリ
ンの一団が何気なくついていった。でも、その軽自動車の後ろに14台も
のバイクがつながるとは運転手も思っていなかったでしょうね。
そんなこんなで渋滞をスムーズに抜けて内宮前まで行くと”只今満車”の
看板がたっていた。仕方がないのでUターンし”おかげ横丁”のところに
入って行こうとすると、交通整理のおじさんに止められた。文句を言われ
るのかと思ったら、”あそこの建物の壁づたいに並べておいて”と駐車ス
ペースまで教えてくれる超ラッキーな目に会った。しかし地獄はその後に
待っていたのだった。
当初、行きたかったおかげ横丁に駐車でき、時刻も12時30分をまわっ
ていたので、ここで昼食とする事に決定。事前に調査してあった”豚捨”
(なんと読むのかいまだにわからない)をみつけ、そこで念願のコロッケ
とメンチコロッケを購入。あげたてのコロッケはなかなか美味く、ちょっ
と満足。昼食のメインはヤキソバ。肉も悪くなくコストパフォーマンスも
悪くなかった。
それにしても、方言は通じないという事が思い知らされた。食券を買い、
カウンター越しで作っているおばちゃんに食券を出すと、”悪いですねぇ、
ちょっと時間がかかっちゃいます”と言われた。そこですかさず本間がい
つもの調子で”どれくりゃ〜で出来る?”と言ったとたん、料理を作って
いたおばちゃん達の手は止まり、顔を上げたその目は点になって、頭の上
には?マークがいくつも飛んでいた。それを察知したのか本間が”あとど
れくらいでできるんでしょうか”などと日ごろ使い慣れていない日本語を
使うはめになってしまった。日ごろ何気なく使っている言葉であるが通じ
ないものである。
そして昼食をとりおえた一行は全員で内宮へ行く事となったのだが、、、
みんなあつまり、赤福本店の前を右折して目指すは内宮。が、行けども行
けども内宮は見えず見えるのは人込みばかり。この日は天候も良く、絶好
の行楽日和で観光客もさる事ながら気温の方も11月とは思えない陽気で
内宮の前に着く頃にはみんな無口になってしまった。やっと着いたと辺り
を見ると、路上駐車のバイクが何台もあり、”歩いて損した〜”と力なく
つぶやいてしまった。
生まれてはじめてくる伊勢神宮内宮であったが、その人の多さに驚いた。
いくら観光シーズンとはいえ、この光景は富士宮の田舎に住む私には、正
月の初詣でも見たことがないくらいたくさんの人である。同じ伊勢神宮で
も、外宮とは比べ物にならない程の参拝客である。
五十鈴川に架かる橋を渡り、人の流れにまかせて歩いていくが一向に本殿
前へと着く気配がない。鬱蒼とした杉の大木に囲まれた参道では、まるで
江戸時代にタイムスリップしたかのようであった。そんな中をしばらく歩
いていると誰かの携帯に電話が入ったようである。連絡してきたのは近藤
だった。近藤はおかげ横丁で皆とはぐれて一人取り残され、心細くなって
電話をしてきたようである。こういう奴もいるのだが、それに気づかない
連中もさすがにキリンのメンバーだけの事はある。”そーいえば近藤がい
ないなぁ””伊藤が居るから全員居ると思った”と皆は口々に言いはじめ
た。
参拝も終わり、七五三の家族連れとすれ違いおかげ横丁への帰途につく。
おかげ横丁では皆を待ちわびた寂しそうな近藤の姿があった事はいうまで
もない。それぞれのバイクに乗り内宮を後にする。内宮に向かう道路は相
変わらず渋滞している。こんなところに車で来るものではないと思いなが
ら内宮を後にした。
次に目指すは阿児町の予定であったが、先頭が思い切りコースを間違えて
しまい、ショートカットで磯部町へ向かってしまった。峠への上りでは間
違いに気づかなかったのだが、途中にトンネルをくぐるところで、”あっ
、これはショートカットのコースだ”と気づいたが既に遅かった。そのこ
ろには隊列を組んでいるメンバーたちも、内宮でのビールと参拝の疲れが
どっと出ており無線での会話が全くなくなってしまった。途中で現在地を
確認し予定通りのコースに戻ろうと考えたが、近頃めっきり体力がなくな
った私は、”い〜や、い〜や、そのまま宿へ行っちゃえ”と本日の宿泊先
である旅館伊せ路へ直行する事にした。
伊せ路に到着したのは午後4時であった。だいぶ早い到着になった。部屋
は2つであり、アルコール組とノンアルコール組に別れた。アルコール組
は、柴田、長沢、本間、望月、後藤、ノンアルコール組は、コージ、武田、
小長谷、野知、伊藤、近藤、帷子、古郡、有賀である。部屋について一段
落してから風呂へ入りに行く。温泉があるというわけではないのであまり
期待していなかったが、浴場の中は広く湯船も広く、下手な温泉宿の温泉
よりもよっぽどもよい。湯船の中にはジェットバスのようなお湯の噴出口
が3人分あり、ちょうど腰と肩のところに当たるようになっている。ちょ
っと腰を上げると玉の裏側から水流が当たり、これがなんとも気持ちいい。
風呂から上がるとアルコール組は、すでに全員がビールを片手に部屋に終
結している。夕飯の予選、寝る前の決勝に向けた予備予選を始めるらしい。
なんともすさまじい人達である。ノンアルコール組はすやすやと寝息を数
人がたてはじめた。
パンヤオの番組や高校サッカー愛知県予選決勝の番組も終わり、そろそろ
夕食である。みんなそろって夕食の大広間へいく。そこには贅沢にならべ
られた料理が所狭しと並んでいる。3つある舟盛りにもサザエ、あわび、
たい、えび、はまちが豪華に並んでいる。食事を食べ始めると皆無言であ
る。一心不乱に食い始めている。まるで腹を空かせたハイエナのように貪
り食っている。その横で、隣の客の子供が”私もあれ食べたい”と舟盛り
を指差しているようである。”てめーなんかに食わせるか”という殺気に
も似た雰囲気が漂っているわれわれのグループは、他のグループから見る
と異常に見えたのかもしれない。ところがそんな中、ふと古郡と近藤に目
をやると、箸が進んでいない。どうもこの2人は海産物に弱いようである。
すると本間が、”あんたち人生損してるら〜!ちょっと貸してみぃ、俺が
食ってやるから”と容赦ない。本間は人生を100倍ほど得しているよう
である。
次の日は7時30分に食事に向かう。舟盛りの鯛のお頭は明日の朝の味噌
汁の、、、という期待は一気に裏切られていた。日頃、朝飯など食べない
のだがツーリングに出かけると朝飯が旨く感じてしまう。
9時に宿を出発する。近くのガソリンスタンドで給油をして御座岬を目指
す。途中から旧道に入ってしまい、細い道をくねくねと進んで行く。途中
の景色は、下田から石廊崎までの海岸線にそっくりであった。たどり着い
た先は何の変哲もない港であった。しょうがないから大王崎までフリー走
行で行くことにした。いくつかの集団に別れて今来た道を爆走しながら戻
って行く。側から見れば立派な暴走族に見えたことだろう。
大王崎についた。しかし、14台を駐車するスペースがない。あれこれと
迷っていながらも駐車スペースを見つけた。どう見ても駐車場ではない場
所なのだが、金を払えと言うおばちゃんがいるのである。観光客には観光
客値段で魚を売っているくせに、こんな所でも金を取ろうと言う魂胆であ
る。すっかり呆れ返り、気分も悪くなったので大王崎で休憩は取らず、そ
のままパールロードへ行くことにした。
パールロードは車も少なく、高速コーナーの連続なので快適な走りが出来
た。眺めの良いところもあり、天気の良かったこの日は”気持ちい〜ぃ”
の一言である。料金所で全員の通行料を払って最後尾からのスタート。ま
もなく最後尾のグループに合流する。お手本のようなリーンウィズでコー
ナーを抜けて行く伊藤の後ろにつき、伊藤のケツをじっくり見ながらしば
らくついていく。そのうちに伊藤が前へ出たので私も最後尾グループを見
捨てて伊藤の後を追いかけ、集合場所の展望台についた。
駐車場で14台のバイクが並ぶと圧巻である。景色を展望するのも良し、
ずらりと並んだバイクを展望するのも良しで、どちらを見たら良いのか困
ってしまう観光客もさぞかしたくさんいつ事だとうと重いながら、ツーリ
ング恒例のプリクラをとる。そんな事をしている間にCB750FとZ1が来て我
々の近くに止めた。いゃ〜ぁさすがに美しいなぁ、やっぱバイクは空冷ネ
イキッドかなぁ、、、いやいや、浮気をしてはいけない、やっぱりフルカ
バードのバイクXXが一番である。
展望台からパールロード終点までフリー走行で行く。コージ、望月の後ろ
につき気持ちよく走っていくが、その前方に野知が見えてきた。パールロ
ード前半で伊藤と一緒に小長谷の後ろを走っていた時に小長谷の存在感は
あまり感じなかったが、野知の後ろを走るとどうも前方への視界がさえぎ
られてしまう。小長谷の方がスマートなのかもしれない。思わす”野知〜
ぃ”と叫びたくなる気持ちが理解できた。結局、野知を抜く事ができずに
パールロードが終わってしまった。
パールロードからフェリー乗り場に直行する。1本後の13時25分のフ
ェリーに乗る事に決め、ターミナルビルで昼飯を取る事にした。まだ出港
までに1時間ある。カレーと大あさりを食べた。ついに伊勢うどん、志摩
うどんが食べられなかった。ちょっと後悔である。
フェリーでは行きと同じように船尾の甲板の長椅子に座っていたが、人数
が少なくなっている。何気なく客室へ入っていくと、口を開けめがねをず
らし、まるで酔いつぶれたムツゴロウ畑正憲のような顔をして寝ているコ
ージがいるではないか。これはいい。私も終点の伊良湖岬まで眠りに落ち
た。
伊良湖岬から遠州灘沿いに浜松に向かう。途中、工事が多くパトカーもい
たりしたが延々と続く同じ風景に最後では嫌気が差してきていた。
湖西に入り旧国1に合流するところで信号待ちしていると、目の前を1台
のローソンレプリカがかっ飛んで行った。ガソリンがなくなってきたので
最初のスタンドで給油をしようと入っていくと、さっきのローソンレプリ
カがいた。出て行くときにいい音を鳴らしていったのがしゃくだった。
ガソリンスタンドのおっちゃんは気の良い人で、道を尋ねるとわざわざ地
図を持ってきて教えてくれた。浜名湖大橋は通らないで行くつもりだった
が、”混んでるから止めたほうが良いよ”のおっちゃんの一言で路線変更。
ガソリンスタンドのすぐ先のところから浜名湖大橋に入り、伝説の浜名バ
イパスへと向かうのであった。
浜名湖大橋から平地へ降り隊列を崩さず走っていたが、交通量が多くなり
すり抜けをしなければならなくなった。しばらくすり抜けをしていると、
危機感抜群のCBXに乗った本間がするすると前の方に出てきた。それはま
るで赤板を過ぎた十文字のようだった。彼の”浜名バイパスではこう走ん
なくちゃ”の一言でみごとに隊列は崩れ、信号待ちになると停止線に沿っ
てずらりとバイクが14、、、いや15台。途中浜名湖大橋でキリンの隊
列を追い越していったオフロード野郎もシグナルグランプリに加わってい
る。さぁ、信号が赤から青へ、、、とたんにバイクが一斉に爆音を張り上
げながら進んで行く。途中、パトカーがいたようだが皆お構いなし。おね
ーちゃんを後ろに乗せて若い頃の本間の様な奴もいたが、途中を左折して
しまい余り長く一緒に走ってくれなかった。残念である。
そんなこんなで浜松ICに到着した。浜松ICからは後藤と一緒に最後尾
からスタートした。後藤の後ろにつき気持ちよく走っていた。吉田ICを
過ぎた辺りで望月が後ろからきた。それまですっと自分が最後尾だと思っ
ていたのでちょっと驚いた。マラソン大会などで、”一緒に走ろうぜ”と
人を誘っておきながら途中で”悪いけど俺先に行くよ”と仲間を見捨てる
奴がクラスに一人はいた。まさに私そのものである。悪いと思いながら後
藤をぬいて望月の後に付く。清水IC近くでコージ達のグループに追いつ
き抜いてゆく。しばらくすると望月のペースが落ちたので、その望月まで
も抜いてゆく。一人、そしてまた一人と抜いて行くごとに私はますます人
でなしになってゆくのだった。
集合場所の富士川SAにつく頃には日も沈み辺りはもう夜である。時間は
5時30分。日が短くなったものだとつくづく思う。ここから柴田は東京
までかえるのかと思うと、柴田がかわそうというよりFJがかわいそうな
気がしてきた。そろそろ柴田ともお別れかなと思ったところ、ふと気がつ
くと本間の姿がない。あれ??不安が過ぎった。あのフロントフォークが
もしかして、、、そういえば昨日の旅館で”最後の晩餐”なんて言ってた
なあ、、、などと走馬灯のごとく思い出された。惜しい奴をなくしたかと
思ったところに、近藤と2人で富士川SAに入ってきた。よくよく悪運の
強い奴である。
ツーリング最後の締めとして富士IC南のデニーズで夕食を取って解散と
なった。今回も楽しいツーリングだった事は言うまでもなかった。